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大阪高等裁判所 平成元年(ネ)486号 判決

控訴人 八木千鶴子

右訴訟代理人弁護士 今中利昭 村林隆一 吉村洋 松本司 浦田和栄 森島徹 豊島秀郎 辻川正人 東風龍明

被控訴人 八木義信

同 八木弘子

同 八木典子

右三名訴訟代理人弁護士 梶原高明

主文

一  原判決中控訴人の被控訴人八木義信に対する予備的請求に関する部分を取り消す。

二  被控訴人八木義信は控訴人に対し、控訴人から八五〇万円の支払を受けるのと引換えに、原判決添付別紙物件目録記載一の建物を明け渡せ。

三  控訴人の被控訴人八木義信に対する予備的請求中その余の請求を棄却する。

四  控訴人のその余の控訴を棄却する。

五  控訴人と被控訴人八木義信との間では訴訟費用は第一、二審ともこれを二分し、その一を控訴人の、その一を同被控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人八木弘子及び同典子との間では控訴費用は控訴人の負担とする。

六  この判決は第二項に限り仮に執行することが出来る。

事実

第一当事者の申立

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは控訴人に対し原判決添付別紙物件目録記載一の建物を明け渡せ。

3  被控訴人らは各自四五万円及びこれに対する昭和六一年六月一五日から支払ずみまで年五分の割合の金員並びに同年五月二七日以降右建物明渡ずみに至るまで一か月五万円の割合による金員を支払え。

4  (予備的請求)

被控訴人らは控訴人に対し、控訴人から八二五万円の支払を受けるのと引換えに、原判決添付別紙物件目録記載一の建物を明け渡せ。

5  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

6  仮執行宣言

二  被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決事実欄に摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決三枚目表一一、一二行目の「よって、右使用貸借契約の期間が終了した。」を削除する。)。

(当審における控訴人の主張)

一  信頼関係破壊について

原判決三枚目表末行から四枚目裏五行目までの事実に加え、次のような事実がある。

1 控訴人は亡つぎの初七日までは、本件建物に宿泊することを希望していたが、被控訴人弘子が「葬式の日はここで泊まって明日からは好きなようにせよ。」と言ったため右宿泊を断念した。

2 亡つぎの七日毎の法要も一周忌以後の法要も、控訴人と被控訴人らとで別々に行っており、完全に両者は没交渉の状態となっている。

3 亡つぎの遺産であった約三〇〇万円の郵便貯金の処理についても、被控訴人弘子は「母の金はまだあるが、法事に使うから一七回忌が済んで残りのあるときに分ける。」と言った。

4 被控訴人らは、一周忌の法要に際して、往復はがきで出欠を問い合わしたことはないが、仮にそのような方法で出欠を問い合わしたことが事実であっても、通常の兄弟間の連絡方法とは考えられない。

5 以上のように、控訴人と被控訴人らは、亡つぎの生前より折り合いが悪く、控訴人が別居生活を送ることになったが、その後も被控訴人弘子の亡つぎに対する対応から、さらに関係悪化が進み、亡つぎ死亡後、特に一周忌以降は完全に没交渉の状態となっている。

二  控訴人と被控訴人らとの本件建物の必要性の程度について

1 (控訴人の事情)

(一) 控訴人は、株式会社マルキ運送(以下マルキ運送という)の代表取締役であるが、名目だけにすぎず、同会社は実体のない会社であり、実質上は、控訴人は誠幸運輸倉庫株式会社(以下誠幸運輸倉庫という)の経理事務職員であり、同会社から月額二五万円を下回る給料の支給を受けていて、賞与はない。

(二) 控訴人は昭和三年三月一四日生まれで、現在の健康状態も高血圧、肝炎等の症状があり、近い将来に退職せざるをえない可能性がある。

(三) 退職後は、退職金の支給はなく、厚生年金月九万円程度が見込まれるだけである。

(四) 二人の娘に扶養の期待はかけられない。

(五) 現在の住居は賃料月額六万円の借家である。

2 (被控訴人らの事情)

(一) 被控訴人義信は一部上場企業である新明和工業株式会社(以下新明和工業という)を定年退職したものの、六〇歳までと予定された嘱託として勤務している。

(二) 被控訴人義信は現在二四万円の給料を得ており、被控訴人弘子は月額三万円の収入があり、同典子も就職している。

(三) 被控訴人義信は退職金として一〇〇〇万円余、さらに厚生年金として月一七万円程度の支給が見込まれている。

3 以上の両者の事情を比較して検討すると、控訴人は本件建物に居住するか、売却して新規に居宅を購入する必要性が高いのに、被控訴人義信は退職後も再就職の見込みもあり、退職金や控訴人が立退料を支払うと引換えに明け渡す旨の判決があれば控訴人から支払われるであろう立退料を併せると居宅を入手するか、借受けるかできるはずである。

三  建物の使用貸借契約においても、その明渡請求に際して、貸主と借主との間の信頼関係破壊の程度に応じた調整機能を果たすものとして、賃貸借契約における明渡請求につき正当事由の補強として認められる立退料が承認されるべきである。

本件鑑定によると、平成二年一月一六日時点における、本件建物の時価は六四四九万三〇〇〇円、借家権価格は一三二三万円である。それゆえ、控訴人が立退料として提案している八二五万円は相当な額である。そして、極端な差が生じない限り、これに上乗せした金額を裁判所に委ねる。

四  当審における被控訴人らの新たな主張である、本件建物の使用貸借契約の成立については認めるが、その目的が亡つぎ及び被控訴人らの居住であって、被控訴人らにおいて必要とする限り居住することができる旨の主張は争う。

(当審における被控訴人の主張)

一 仮に、本件建物につき共有権を有するという主張が認められないとしても、亡八木榮太郎一家が住んでいた同人所有の土地及び建物の和解金により昭和四四年一一月頃本件建物が購入されたものであり、それ以後、亡つぎ、控訴人、被控訴人らが居住したが、控訴人が同四七年に別居し、亡つぎ死亡後は被控訴人らが居住を継続しているものであり、その間に賃料を支払ったことがないなどのような事情のもとでは、控訴人と被控訴人義信との間に本件建物につき使用貸借契約が締結されているものと解すべきであり、その目的は、亡つぎ及び被控訴人らの居住であり、亡つぎ死亡後は被控訴人らの居住であって、被控訴人らの居住に必要な限り使用することができるものというべきである。

二 当審における控訴人の主張はいずれも争う。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  当裁判所も、控訴人が単独で本件土地建物をその前所有者から買い受けたこと、被控訴人義信が本件建物を占有し、その余の被控訴人らは占有補助者に過ぎないこと、控訴人は昭和四四年一一月頃被控訴人義信に対して無償で本件建物を貸したこと(以下本件使用貸借という)が認められ、その契約上本件建物の使用を双方の実母に当たる亡つぎの生存中に限る旨約されていたとは認めがたいことについては、原審、当審における証拠調べの結果により、原審同様に認定すべきものと考えるところ、その理由は原判決七枚目表九行目から八枚目裏七行目までの理由説示のとおりであるからこれをここに引用する。

そうすると、控訴人は被控訴人らに対し本件建物の所有権に基づいてその明渡及びこれに伴う損害金の支払を請求する権利を有しないことになり、控訴人の主位的請求は理由がないことに帰する。

そこで、以下予備的請求の肯否について判断する。

二  民法五九七条二項但書の類推適用による本件使用貸借の終了について

建物の使用貸借において、明示の目的は単に借主がその建物に居住することであった場合でも、黙示的にその前提とした事情があり、その後その前提とした事情の全部又は重要部分が欠缺するに至り、もはや貸主に使用貸借の存続を強いることが酷と認められるときは、貸主は民法五九七条二項但書の類推適用により使用貸借を解約することができるものと解すべきである。

これを本件についてみる。

〈証拠〉を総合すると、本件建物は昭和四四年一一月二二日控訴人が買い受けたものであるが、その代金はもと控訴人及び被控訴人義信の父である亡榮太郎の所有に係る土地及び建物に関する和解金によりまかなわれたこと、右和解金受領の前に亡榮太郎は死亡し、その妻亡つぎの意向により自己の老後の面倒をみてくれる者という意味をも含めて控訴人を所有者とすることになり、これに被控訴人義信においても異議を述べなかったこと等の事情もあって、控訴人が本件建物の所有者として今日に及んでいること、ところが、昭和四七年に控訴人は被控訴人義信の妻である同弘子が義母である亡つぎの食事の世話をするのはやむをえないが、義姉である控訴人の食事の世話をしたくない旨亡つぎに述懐したことを聞き、亡つぎと共に被控訴人らと別居したいと考えていたが、控訴人のみ別居することになったこと、その頃は控訴人は四四歳でまだ健康であったこと、昭和五二、三年頃亡つぎが小便を漏すようになったことから、被控訴人弘子がその世話をすることを嫌がったので、控訴人が世話をするので、被控訴人らにおいては本件建物を明け渡すよう要求したところ、被控訴人義信及び同弘子は亡つぎや控訴人に対して悪態をついたが結局そのまま居住を続けることになったこと、昭和五六、七年頃亡つぎは廊下で転倒して腰を打ち寝たきりとなったが、入院を嫌がる亡つぎの世話に関し、被控訴人弘子は控訴人に対しトイレ付きベッドでなければ世話はできないなどと言って、これを三日以内に購入するよう要求し、控訴人は、その期間内に調達できそうにないので被控訴人弘子に期限の猶予を申し出たのにこれを拒否されたため、無理をしてこれを購入したこと、亡つぎ死亡の前日容体が悪くなっていたのに、被控訴人弘子は知人の通夜に出席し、亡つぎ死亡の日の通夜の際に知人の葬儀に香典を届けに行ったこと、控訴人は亡つぎの初七日まで本件建物に宿泊したいと希望していたが、被控訴人弘子から「葬式の日はここで泊まって明日からは好きなようにしたら」という初七日まで宿泊することを好まないような趣旨の発言があったため、宿泊を断念したこと、控訴人は四九日の法要には出席したが、その他の法要は被控訴人らと別々に行っており、最近では控訴人と被控訴人らとは没交渉の状態となっていること、後記本件使用貸借の解約の意思表示の日である昭和六二年八月一一日現在でみると、控訴人は当時すでに五九歳となっており、昭和五七、八年頃病気に罹って入院し、代表者として経営していたマルキ運送を誠幸運輸倉庫に預けることにして形式的にこれを残し、退院後は誠幸運輸倉庫に事務員として勤務することになり、右解約の意思表示の日頃には月収三〇万円の給料を得ていたこと、そのうえ住居としては床面積五四・二四平方メートル一戸を他人から少なくとも月額五万五〇〇〇円で賃借りしていたこと、その後も控訴人の右各会社に関する関与の仕方は従前同様であるが、現在では減給となり月額二五万円足らずであり、控訴人は、退職金を受ける見込みはなく、退職後は厚生年金月九万円程度が見込まれるに過ぎないこと、さらに控訴人は、現在家賃として月額六万円を支払っており、健康状態も悪くなり高血圧、肝炎等の持病に悩まされていること、被控訴人義信は、当審被控訴人義信本人尋問の期日である平成二年七月三日現在で言えば、新明和工業の定年後の嘱託として勤務して月収二四万円の給料を得ており、退職金として一〇〇〇万円余、退職後の厚生年金として月一七万円程度が見込まれること、平成二年一月一六日現在で、本件建物は時価約六四四九万円で、その適正賃料は月一二万七〇〇〇円であり、賃貸借契約が昭和六〇年九月一日より開始され、賃料を右のとおりとし、敷金、権利金等の一時金の授受がないと仮定した場合にその借家権価格は一三二三万円であること、控訴人は本件建物の明渡しと引換えに八二五万円又はこれを多少上回る金額を支払う意向を表明していることが認められ、〈証拠判断略〉。

右認定事実に基づいて検討するに、当初は従来から親子兄弟で同一建物に住んでいたことの延長として、亡つぎ、控訴人、被控訴人らが本件建物に居住したが、控訴人が亡つぎの老後の世話につき采配を振り、被控訴人義信及びその妻同弘子も共同して実際上の世話をするという理由に加え、さらに兄弟の誼から、被控訴人義信も無償で居住していたこと、このことは若干のトラブルはあったものの控訴人の別居後も同様であったこと、控訴人も当時は若くて健康であったため、借家住まいにも耐えられ、母亡つぎの世話をしてくれるならとの思いもあってそのまま無償で居住することを極自然な形で承認していたこと、ところが昭和五二、三年頃実際母亡つぎが世話を要するようになると、被控訴人義信及び同弘子は種々不満をもらすようになり、特にトイレ付ベッドの購入に際しては控訴人に短期間で購入することなど無理な要求をしたこと、亡つぎ死亡前後には被控訴人義信の妻同弘子が他人の通夜や葬儀に出席するなど情愛のこもらない態度をとったことから、一挙に控訴人は被控訴人義信及び同弘子に対して不信感を抱き、双方別々に法要を営むなど精神的な交流は断絶するに至り、かっての兄弟の誼は地を掃ってしまったこと、一方、控訴人は後記本件使用貸借解約の意思表示の日のころにはかなりの老齢となり、健康も優れず、自己の住居は借家であって、少なくとも月額五万五〇〇〇円の家賃を支払っていたことが指摘され、これらの点を考慮すると、本件使用貸借は、明示的には単に借主がその建物に居住することを目的とするといわざるをえないものの、黙示的には控訴人と被控訴人義信との兄弟間の誼を基礎として、被控訴人義信及びその家族が控訴人と協力して母の老後の扶養及び世話をすることが前提となっていたところ、その後、被控訴人義信とその家族は老母の世話に快く協力しなかったばかりでなく、控訴人と被控訴人義信との兄弟としての誼も消失し、母死亡後の法要も共同でなすような雰囲気がなくなったこと、その他控訴人の年齢、健康状態、居住態様等から考えると、後記本件使用貸借解約の意思表示の日には本件使用貸借の前提たる事情はその重要部分において欠缺するに至り、もはや貸主たる控訴人に使用貸借の存続を強いることは酷といわざるをえない。

それゆえ、控訴人は被控訴人義信に対し、民法五九七条二項但書の類推適用により、本件使用貸借を解約することができるものというべきである。

そして、控訴人が被控訴人義信に対し昭和六二年八月一一日の本件原審第六回口頭弁論期日において本件使用貸借を解約する旨の意思表示をしたことは、弁論の全趣旨により認められる。

しかしながら、亡つぎの死亡後未だ五年に満たないこと、亡つぎの生前の世話も不満ながらも相当程度は被控訴人らにおいてもこれを行ったこと、被控訴人義信も五六歳でそれほど裕福な生活をしているものでなく、本件建物は同被控訴人の低収入を補うに貢献していたことなど、諸般の事情を考慮して考えると、控訴人による無条件の本件建物明渡請求は信義則に反し、権利濫用となるとの誹りを免れない。

しかし、以上認定の控訴人に有利な事情に併せ、控訴人が右明渡請求につき、八二五万円又は相当額の金員の支払いの意向を示しているので、この意向にそって考えるに、控訴人が八五〇万円の金員を支払うことにより、右明渡請求が権利濫用であるとの非難を免れることができるというべきである。

三  以上の理由から、控訴人の被控訴人らに対する本訴主位的請求は理由がなく棄却を免れないが、予備的請求は、被控訴人義信が控訴人に対して、控訴人から八五〇万円の支払を受けるのと引換えに、本件建物を明け渡すことを求める限度において理由があり、被控訴人義信に対するその余の予備的請求、被控訴人弘子及び同典子に対する全ての予備的請求は棄却を免れない。

それゆえ、原判決は控訴人の被控訴人らに対する本訴主位的請求及び被控訴人弘子及び同典子に対する予備的請求に関する部分は正当であり、これに関する控訴は理由がなく、棄却を免れないが、控訴人の被控訴人義信に対する予備的請求に関する部分はこれを取消して、被控訴人義信が控訴人に対して、控訴人から八五〇万円の支払を受けるのと引換えに、本件建物を明け渡すことを命じ、その余の予備的請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九五条、九六条、八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柳澤千昭 裁判官 東孝行 裁判官 松本哲泓)

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